pben’s blog

独り社長の酒場トーク

Naked Friday

割と脱ぐのは得意なほうですけど 笑

 

僕は大学時代の専攻ゼミが商学部商学科にある貿易論ゼミでした。そういう意味では、今やっている会社をみても大学時代学んだことが活かされている、ということになります。ただ、一風変わったゼミで、モロに左寄りの集団ゼミでややアナーキーな思想も持つ学内でも良くも悪くも有名なゼミで「なんか大学面白くねえなあ」と当時僕は陰モードだったのもあって、まあどっぷり沼りました。色々やったけど、例えば栃木にあるNGO尋ねて彼らと共にフィリピンのバコロ島にある電気も水道もない農村で1ヵ月日本の野菜を育てようと活動していたり 汗、片道切符でハノイに独りのみこみクエのほうだったかな非武装地帯でエイズ感染、親を失った孤児が集まる院にアポなしで突撃したり 苦笑 とかそういう感じの事もやったりしていました 笑

 

本当はマスコミ・報道希望だったんですよ。NHK受けましたよ、NHKスペシャル創りたかったから。3次筆記試験で撃沈しました。この分野の就職活動って特別なスクールがあったり、筆記試験もお受験なみに勉強しないといけないって、落ちてから知りましたよ。もし受かっていたら、ワンチャンNHKのメイちゃんと付き合えたのかな(副島萌生 サタデー&サンデースポーツのアナウンサー。好きなタレントは萌生か井川遥で即答です 笑)と思うと悔しいです!

以後なんとなく商社も受けていって、早く就職活動終えたかったので、一番早く内定出してくれた商社に入社しました。この商社、今仕事でやっている業界でもモロに出てくるのでアレですが、ほら財閥系総合商社とかあるじゃないですか、あれではなくて所謂専門商社なんですが、当時で売上1兆位だったかな、商社ランキングでも10位以内に出るので、まあ子を持つ親的には「明治出て大きな商社に入った、いっちょ上がり」ってやつでしょうか。

 

実は俺のキャリアって転々なんです。大学→この商社→(退職して)米国留学→(無職で)帰国&結婚 笑→小さな広告代理店&イベント会社(自分で東北支社立ち上がて東北支社長になって。3年@仙台)→(退職・東京に帰京)→抽出メーカー海外営業部→その抽出メーカーのEU向け外資代理店に転職(この頃が銀座・六本木・上野、酒池肉林のピークでしたね、まあ遊んだ遊んだ飲んだ飲んだ クレイジーだわ 笑)→国内個人商社(ここ消したい 笑 当時の代表と最後裁判沙汰になったり、事故りましたよ)→国内中堅商社→なう、です。

この六本木Zoo(Zoo最高!)でハッスルしてた頃位から、国内だけじゃなく海外でも取引先・友人が増えてきて、振り返ると今やっている商材の半分以上がこの頃からの商権奪ってやっているだけじゃねえか!と思ったり 笑。今はEU圏は入国スタンプも無くなったし、日本もICチップでスキャンとかになりましたが、昔パスポートのスタンプ数えたら3冊か27個ありましたよ。(唯一まだ無いスタンプがあり、それは대한민국 苦笑)

 

今回はその初職の商社の話。時代も変わって、もし今これあったらワラエナイというか、報道やネットで出て問題になるかなとか割とマジで思います。この会社凄かったんですよね、新入社員にカネかけてひたすら英語・簿記の外部講師授業が毎日施されて、入社後直ぐ会社名義の法人クレジットゴールドカード渡されて、年収も高めで、だいたい30歳位になるとどこかの海外支店に勤務となる感じでした。当時はバブル時代からはかなり後でしたが景気はまあ良くて、俺が所属していた部でも交際費・接待費が溢れるほどあって、タクシーチケットよく使ったなあ。一人の営業マンに大体独りアシスタントの女性(当時は総合職とはっきり区分されていました)がついており、彼女たちは才色兼備っていうんですかね、養子もOK英語もOKなんですが、要は彼女たち男たちの嫁候補で。ほぼ30歳までに”穏便に”会社辞めさせられていましたね。実際30歳までカウントダウンという社内に女性がいて(まあ、彼女なんか清潔感もなくて、酒で暴れるし、大嫌いでしたけど)周りの先輩たちの悪さ仕掛けもあったんで、一緒にタクシーで二人っきりでよく帰りました。「ねえキスして」「ねえ抱いて」ってマジで何度も言われましたよ、お前酔ってねえだろ、って。なんか口も臭かったし 笑。元気かなあ、あの女性先輩 笑

 

新入社員は最初数カ月全員埼玉の独身寮に強制的に住まされました。まあここ、サティアンだろ、独身寮がヤバかった。箇条書きすると、

・風呂に新入社員は全員入れさせられ「熱湯シャワー」という愛の鞭

・毎週金曜日は、玄関に籠が置いてあり、先ず靴と一緒に服を脱ぐ。寮内は翌日まで全裸で過ごさなければならない、通称「Naked Friday」。この日によく食堂に集められて社歌歌わされたりしてましたね、一度俺指揮者やったんですがポジション的にどういう絵になるかわかりますね 笑

・その日指名された若手は翌朝まで先輩と食堂で酒を飲む。寝落ちしたら翌日一人で「Naked Friday」笑

社内・部も酷くて、まあこのような寮シゴキやるような会社ですからね、例えば、

・週5日飲み(要は部の交際費が余り過ぎてて月末に使い切らないと翌月削減されてしまうので社内で使うしかなかった)。午前様は基本(タクシーチケットもありますし)。

・上記の先輩オネの件もこれ逆セクハラ・パワハラじゃね?(今の俺ならイケます ドヤっ笑)

・先輩に意見・発言するなどご法度で。酒の酔いの場だったというのもあったかもしれませんが、俺当時の次長に回し蹴り喰らいましたもん。

・当時の彼女(今の嫁ちゃん含む 笑)とデートの日に必ず飲みに誘ってくる僕のOJT担当先輩。コイツには「なか卵」の牛丼10杯食わされたこともありましたね。吐いたけど。きっと吐くのを見たかったんだろう。

・部内セクハラは日常茶飯事。すげー背が小さくてでもすげーデブで魔人ブウみたい課長がよくアシスタントの女の人に、今日の下着ピンクだね透けてるよとか、肩揉んだりとかしょっちゅうでしたわ。

 

当然同期も皆苦しんでいましたが、これ面白いんですよね、ほとんどの同期がだんだん洗脳されていく。同じ明治出身のやつに真顔でいわれましたもん「お前もこれタメになるんだから耐えろ」って。コワい。。。独り、彼は元々取引先のご子息(縁故入社ですね)だったんですが、オヤジ(取引先社長)が寮に乗り込んできてクレームしたことあったんです。でその時寮先輩が真顔で言ったのが「申し訳ありません。これは息子様のためになる大事な修行なんです」。。。後に彼は退職し取引も一切無くなったとか。まあ、こんな感じなので俺もメンタル病むまでとかはなかったんですが辞めました。俺ガキですからね、最後髪を茶髪に染めて出社したんですよ、そうしたら面白いのがあれだけ威張っていた先輩たちが、慄いてる、まともに喋れないんです。要はこの瞬間から他人ですからね、”お前シメるぞ”というラガーマンメンタルですかね 笑、僕殺気もきっと出ていたんだろうと思います。そういえば辞める1ヵ月程前に、辞表提出するじゃないですか、俺もそこはちゃんと人事部に行ってお渡しし面談もあって。その時の人事部長に言われましたよ「なぜ辞める?ウチは天下の●●㈱だぞ!」と。俺は「辞める理由は?アンタ人事部だろう?自分で調べろ、それが仕事でしょう?天下の●●㈱でっしたけ?知らん。そこを辞めるってイイじゃないですか 笑」これマジでこう言いましたね 苦笑 若気の至りです。

 

先日、本当に偶然の出会いがありました。今のオフィスのお隣さんはパパ友達の会社で彼も社長さんなんですが、交流が広くて、たまたま遊びに来ていて知り合いが40歳くらいかな二人で、俺のオフィスにビール飲みに来たんですが、この彼が僕と同じこの商社出身の男でした。数年前に彼もオヤジの会社を引き継いでそれで退職していたのですが、俺が去ってから、社内で大問題になったそうです。まあ、俺の同期の彼のオヤジさんが取引停止しましたからね、それも大きかったんでしょうか。具体的には人事部が動き、寮制度停止・何人か左遷とかあったそうです。従って今はほぼ改善されているそうですが、これってどうしても「社風」「文化」みたいなものなので、現在もちょいちょいそういう香りの風習は残っているらしいです。ちなみにこの彼曰く俺は伝説になっているそうで、「うおおおお!あの〇〇さんですか!?有名ですよ。今度まだ残っている俺の同僚たちとも会って貰えませんか」なんて言われてしまいました 笑 ちなみに彼は在籍時代に俺ほどのシゴキはなかったけれどバーミヤンで全メニュー注文&食え!はあったそうです 笑

なんだろう、今はなんかこの商社に具体的に商売案件・議題持って、あくまでビジネスで訪問してみたいんですよね、愉しそうです。誰が出てきてもいいぞ、軽い戦闘モードでワクワクしますよ。

ちなみに、僕が辞めた後ですが、当時のセクハラ課長は数年後に肝硬変で急死、回し蹴り空手関西人次長は子会社へ左遷、俺のOJT担当だった先輩も左遷して辞職、見て見ぬふりしていた部長はインドネシアで病気にかかって死去、したそうな。なんだよ、そのうち伺ってZooに招いて接待してやろうと思ってたのにな。「飲みが足りねえぞ、もっと飲めホラ、コラあ!」って 笑 合掌&ワイ。ウチの監査役とかタイのマザーにもよく言われるんですよ「神様はちゃんとみている、最後は自分に還ってくる」ってね。

 

う~ん、だから俺”体育会系”キライなのか!?トラウマなだけじぇね 笑?